「システムエンジニアは今すぐ開業届を出しなさい」プロフィール
名前 :宮城 浩
職業 :ITエンジニア・キャリアコンサルタント / フリーランス研究家
他ブログ:http://社畜se.jp
座右の銘:①現状維持は退歩なり
②結果は努力に比例するのではなく覚悟に比例する
- 自己紹介概略
- 学生時代奮闘記 〜 原体験:お金をもらい学習する 〜
- 就活・新人時代奮闘記 〜 原体験:渡る世間は鬼ばかり 〜
- ピークを迎えた3年目 〜 原体験:驚異の残業300時間 〜
- フリーランスSEデビュー 〜 原体験:Before & Afterではなく、After & Future を見る 〜
- 「SEはフリーランス化すべきである」をミッションにビジネス展開
自己紹介概略
1986年沖縄県生まれ。
高校入学時に自営業の両親が閉店、部活動を継続し隠れて当時最低賃金610円〜の沖縄で、時給換算1000円超の港湾作業や引越しなどの日雇バイトで生活費と大学入学費を稼ぐ。
場所不要で無からサービスが創れ高収入を得られる可能性が高いITに興味を抱き情報科を専攻。
勉学と並行し、日雇い含め卒業までに10数種類のバイトを経験しビジネス実務経験を在学中に修得。
高収入の凄腕エンジニアを目指し県内IT企業へ入社。
楽しい研修時代もつかの間、配属後からスキルアップ兼ね月平均250時間超が標準化。
3年目に「月稼働最大450時間(残業300時間)」なのに「年収300万円未満」を経験。
「過酷現場に宮城あり」と評され徹夜必至の現場に充てられる。
入社前に描いていた理想像との乖離に絶望し、変化を望み東京転勤を希望するも状況変わらず。
転職相談するも待遇変わらず。転勤・転職と活路が見いだせなかった。フリーランスという働き方を知り転機を迎える。
「月稼働1/3減少」「年収2.4倍UP」と改善。しかし浪費が嵩み家賃滞納など失敗を経験。
時間とお金の有効活用を意識し、強みであるITスキルを活かし複収入を得るノウハウを身につける。
原体験からエンジニア第2の人生『セカンドキャリア』に焦点をあて「SEはフリーランス化すべき」を掲げ「脱・社畜SE」ブログを運営。フリーランスという選択肢を与え可能性を提案する。
学生時代奮闘記 〜 原体験:お金をもらい学習する 〜
1986年沖縄県生まれ。
16歳の時、自営業(床屋経営)だった両親が不況から店を閉める。
部活動の顧問推薦枠でもあったため部活動も続けなら、学校にも隠れて生活の足しに日雇いアルバイトをする。
当時沖縄の最低賃金は610円〜と低く、試験休みで部活が確実休みとなり時給換算1000円超の港湾作業や引越しなどの日雇バイトで生活費と大学入学費を稼ぐ。
両親が店を閉めた影響(安定して稼げる収入源の確保を前提)と学校側の推薦もあり大学へ入学。
当時、まだ未発展だが場所不要で無からサービスが創れ高収入を得られる可能性が高いと踏んでいた、ITに興味を抱き情報科を専攻。
入学費用は卒業休み期間に貯めた約1ヶ月以上の日雇い作業と奨学金で工面し入学。
入学後、生活費と大学費用の両方を稼ぐためアルバイトを掛け持ちし、その種類の数はざっと10数種類のバイトを経験。
(ふと、どのようなバイトをしていたのか気になったので、いかに一覧をまとめました。ホワイトの数が多い方がオススメだ!参考にしてくれよな!)
種類 | バイト内容 | 感想 |
オススメ度 3段階評価 ☆:ホワイト・バイト度 ★:ブラック・バイト度 |
---|---|---|---|
単発系 | コンサート(イベント)警備スタッフ |
ライブがタダで聞けるが裏方(たまに有名人が近くにいる) 10回以上やったと思う。。。 |
★ |
駐車場スタッフ | たまにお金が落ちてる。結構拾えたり。 | ☆☆ | |
祭りイベント 設営・撤去・運営 |
割に合わない、弁当代も差し引かれてる場合あり。 やたら大声出すし、場合によっては喧嘩の仲裁とかもある |
★★ | |
ライブ会場 設営・撤去・運営 |
たまにライブ出場者に近づける。あとは祭りの撤去。 有名人が好きじゃないと割に合わない。 |
★ | |
年末年始 警備スタッフ |
割に合わない。寒い、痛い。酔っ払いに絡まれる。 12時間勤務で休憩30分とか。ひたすら立ち。足固まる。 |
★★ | |
交通量・渋滞量 調査員 |
誰でも簡単に稼げる。暇つぶしに音楽をさりげなく忍び込ましたり。 今はオーディオブックとかで勉強しながらできる。 |
☆☆☆ | |
看板持ち | 割に合わない。ひたすら泣けてくる | ★★ | |
チラシ配達 | 割に合わない。原付とか自転車でも割に合わない。 | ★★ | |
工事系 |
床貼り工事 (PC教室) |
割に合わない。床のプレートがめっちゃ重い。体力勝負。 学校とかでエレベーターじゃなく階段とかの場合ほとんど地獄。 |
★★ |
設営 |
慣れてしまえば案外楽。 パーティションはそこまで重くなかったため、どちらかというと組み立て技術寄り。 |
☆ | |
港湾系 |
荷物運搬・検品 チェックなど |
慣れてしまえば案外楽。ひたすら単純作業。 | ☆ |
運送補助 |
慣れてしまえば案外楽。ドライブ感覚。 無口な人と一緒だと景色をひたすら見る。 |
☆ | |
引っ越し作業 |
種類による。派遣社員では割に合わない。 一般家庭は大変だが、事務所の引っ越し(1Fから2Fへ)などは非常に楽。 |
★★ | |
接客 |
イオン 家電コーナー 接客販売 |
ちょっとだけ家電に詳しくなった! お客さんへの説明能力が身についた! |
☆☆ |
レンタカー 洗車・配車・案内 |
観光客とのコミュニケーション能力が身についた! ただ配車関連はテクニック必要。車ぶつけたらアウト! |
☆☆ | |
家電量販店 テレビ接客・販売 |
超絶オススメ!説明能力と提案能力がめちゃくちゃ身についた! ただし、ノルマ的なのもあるため厳しかった。 |
☆☆☆ | |
ITサービス | 地図校閲作業 | 単純作業。地図が違うところをマップしてたら修正する作業。 | ☆ |
コールセンター ゆうパック再配達受付 |
割に合わない。東京都内は再配達にクレーマー多すぎ!! | ★★★ | |
コールセンター (事故受付) |
超絶オススメ!コールセンターでは中々出会えない、 感謝されるケースがほとんど(相手は事故を起こし不安のため) |
☆☆☆ | |
IT業界系 | 某ブラック企業のHP制作・更新など |
ありえない。終わらないと給料振り込まないとか言われた。 辞めれたのも奇跡。最終的に倒産。 遅刻したら時給よりも高い罰金制度有り |
★★★ |
テスター業務 |
ありえない。1割社員、9割が学生インターンシップからのバイト。 学業よりバイトを優先で単位落とす人続出。 |
★★★ | |
ゲーム会社:FLASHゲーム制作 |
ゲーム好きな人はいいと思う。 徹夜あり声優の話題についていけず内定もらったが蹴る。 しかし3年後支店が撤退。 |
★ |
元々、商業高校卒業生が多い学科に普通科卒業である私は進捗遅れを感じていたため、少しでもITに関わるバイトやインターンシップ、その後バイトを通して経験を積む。
大学3年には卒業論文を提出し卒業過程を9割終了し、残りの学生生活も就職してから最短で出世を狙えるよう実務レベルの基礎スキルを学生時代で身につけるべく、接客や電話対応(コールセンター)、販売営業などアルバイトを通し様々な経験を学生のうちにし、プロフェッショナルを目指した。
学んだのは、学習には3通りあり
- お金を支払わないでタダで学ぶ方法 → インターネット
- お金を支払って有料で学ぶ方法 → 大学や有料スクール
- お金を受け取って実務を通して学ぶ方法 → バイトや実務
3.お金を受け取って学ぶ方が圧倒的に早いと理解した。
失敗してはいけないから。今でも3は染みついている。ぜひ学生・社会人の皆さんにも勧めたい。
就活・新人時代奮闘記 〜 原体験:渡る世間は鬼ばかり 〜
就職は最短で稼げると感じた東京を目指すも渡航費用面等で断念。
入社後に東京転勤が命じられる県内のIT企業に絞り面接を受ける。
補足:今はキャリア関連の支援制度が使える。ぜひ活用して県外を目指して欲しい
就職活動時の面接で前述したアルバイト経験は評価されず、むしろ複数のアルバイトを平均6ヶ月程度と長期で続けられていない事を指摘されむしろ評価が下がった経験あり。
一つの仕事を長くやることを企業は尊重していたため、就職活動時代から『働き方』に関して疑問を感じるようになる。
希望していた東京転勤が可能となる地元沖縄にある某大手グループ企業傘下のIT企業に入社が決定。
狙いは3年間東京で働き最速でスキルや実務経験を身につけ、高収入の企業へ転勤を狙う。あわよくばヘッドハンティングを狙う。
そのためには厳しい環境を望んでいた。
東京での研修はアルバイトでの実務経験を経てきた自分としては楽しく受講でき、会社員は楽だと感じていた。
が、そんな楽しい研修期間を終えて束の間、現場に先輩の居ない新人チームだけで自社パッケージソフトを開発せよと指示。
毎月平均250時間を超える働きとなり、上司からは同期全員「なぜできない」と毎日のように罵倒され屈辱を受ける。
2年目にして会社都合により地元沖縄に戻り、会社の売上高低迷により毎月平均250時間が標準化となるも残業代請求不可となる。
いつ使用できるかわからない代休のみたまり有給は利用できない期間が続く。
当初は厳しい現場を希望していたが、1年目の新人に制裁を与える洗礼を受けた気分を覚えている。
余談だが、この時新人からもアイデアを募集とあり、
私はICタグの可能性を感じ駐車場と同じようなことを日常生活にも活用できないか?とアイデアを提出したことがあるが、出してものの1分で実現不可、見る価値無しと判断された。
その後、数年を経てIoTという形で世に広まり、私も考えていたトイレの入室チェックにも活用、など幅広く運用された。
できるできない云々は別として、意見を聞かれないなら居る意味ないと感じた一瞬でもある。
ピークを迎えた3年目 〜 原体験:驚異の残業300時間 〜
記録に残ったのは3年目。
リーダーとして着任したプロジェクトで、工数見積りなどを含めた上司の管理ミスが発覚、会社全体を揺るがした大赤字プロジェクトとなる。
当時、協力企業も含めたプロジェクトメンバーの約1割が精神的な病になり退職や休職が相次ぎ入れ替わりや増員を繰り返した。
さらに上司である管理者もまた精神的な病で倒れ、リーダーである私がマネジメントや顧客対応もまとめて兼任。終電の概念が無い沖縄で12時間〜/日が常態化。
結果、入社3年目に私自身「月稼働最大450時間(残業300時間)」、さらに赤字プロジェクトで残業代が一定量しか請求できず「年収300万円」の年となる。
会社から一定の評価を受け表彰などされるも、過酷な労働環境を耐え抜いた戦士と称えられ、デスマーチと呼ばれる徹夜必死の現場にフォロー要員として充てられる事が増えた。
- 代休は増えるが使う暇が無い
- 貯金は顧客対応や部署の飲み会、同僚や後輩達の付き合いに消費、
同様に同じ表彰を受けた、会社から高評価の5年先輩は月稼働平均250時間、年収400万円未満という現状を知り、5年後の具体的な未来が描けてしまい絶望する。
入社前に描いていた理想像と大きく乖離していることに気づく。
沖縄に居ては常態化しつつある過残業の改善、元々は東京希望だったという点と新しい環境の東京に行けば何か変わると希望を持って、入社4年目に東京転勤を自ら志願した。
しかし東京転勤直後、あの大赤字プロジェクトの延長担当となり、案の定終電までの稼働が常態化したこともあり、企業を変えないと変わらないと感じ転職活動を決意する。
フリーランスSEデビュー 〜 原体験:Before & Afterではなく、After & Future を見る 〜
収入アップを謳う転職エージェントにて高収入企業へ転職を要望するも、待遇は変わらない企業のリストアップ。
取得資格の少なさなどを指摘され、転勤でも転職でも活路が見いだせなかった。
(資格はそこまで大事なのか?会社のブランドのためだけで使わないのに?あと、資格取得する暇がないんだよ!と思ったがこの辺で。)
結局、冒険せず現状維持が最良の選択肢と考えて絶望している最中、フリーランスSEという働き方をしている方に出会う。
話を聞くと私のスキルや経験では2倍以上の収入アップが見込めることと大幅な稼働時間減少が見込めると話を受けた。
フリーランスSEに可能性を感じ、転勤後3ヶ月後に上司や役員の方達から激昂されながらも退職届を提出、転勤後6ヶ月後に退職しフリーランスSEへと転身した。
フリーランスSE転身後、伺った話通りに「月稼働平均150時間(1/3減少)」「年収2.4倍UP」と著しい変化が現れ将来に希望が持てた。
しかし、会社員時代の反動であまりある体力や時間と増えたお金を飲み代などの浪費が嵩み、家賃滞納するなど失敗を経験。
収入が増えてもそれ以上に支出が増えたら意味が無いということを、身を以て経験した。
フリーランスSEは毎月の収入が会社員と比べて高いが、その上で将来への対策も同時に行わないといけない。
多くのフリーランスSEは今が楽しければ全て良し、と今後もずっとエンジニア業の仕事があると思っている。会社員エンジニアも同じだ。
「今を生きろ」のキリギリス戦略も重要だが、まずは老後の不安解消にアリさん戦略も入れる必要がある。
ネット上では、フリーランスSEへのなる前となった後を良い表現で提唱しているが、問題はその先だ。
大事なのは、Before & Afterではなく、After & Future である。
そして、フリーランスSEになったその後を教えてくれる人というのは、実はいない。
「SEはフリーランス化すべきである」をミッションにビジネス展開
フリーランスSEとなりお金と時間が会社員と比較して増えたことから発生した失敗の数々。
自身が学生時代に経験したお金への不安、将来的な不安を解消するために何に投資するべきかを重要視する行動を取るようになる。
他業界と比較してITスキルがある事は強みであることを認識。ITスキルを活かしたスモールビジネスの事業を構築し複業を実現。
ITエンジニアは複業で不安を解消できることを知り、周囲の会社員エンジニアにフリーランス化を絡めた働き方を提唱。
しかし、高スキルにも関わらず残業代で収入アップを狙い続け、複業が選択肢に無いことに違和感を感じる。
このブログはこの違和感から誕生した。
原体験からITエンジニア第2の人生『セカンドキャリア』に焦点をあて、
不安だらけだった過去の私に手を差し伸べるべく「SEはフリーランス化すべきである」ことをミッションに当ブログを運営。
セミナー&キャリアコンサルティングに力を注ぎ、フリーランス化を絡めてエンジニア自身の可能性を提供する。